読み逃げしている、ブログの中しか知らないボーダーのレオン君
1月2日に急に体調不良から昏睡状態となり、軌跡的に助かったって、本当に良かったです。
同じく読み逃げブログのガブ君 ガブ君とは、さくらガーデンで会ったことがあります。
ガブログにも、命の事が書いてあり、珍しく神妙な気分です。
我が家でも、既に猫のコティーとみるくが虹の橋のたもとで、私を待っています。
それに、子供の頃飼っていたルル(ミックス犬)やメリー(シーズ犬)も待っています。
ルルが亡くなったのは、1月3日でした。
その時、和歌山に住んでいたのですが、たまたま兵庫の西脇の親戚の家に泊まっていました。
明け方、ルルが私に向かって必至に走って来ます。
回りは、真っ暗です。ルルの他は何も見えません、ルルだけが私に向かって懸命に走って近づこうとしています。
私も、ルル、ルルと呼んで、手を伸ばすのですが、たった1メートル程の距離が狭まる事無く、ルルは消えました。
朝になり、私は母に"ルルが寂しいみたいやわ、早よ帰ろう"と言って帰ると、ルルは死んでいました。
よく霊能力のある人とか、霊感の強い人っていらっしゃいますよね。
でも、私は全くそういう物が無いのです、その私の夢枕に立つ程、ルルは一人死んでいくのが寂しかったのでしょうね。 可愛そうな事をしてしまいました。
シーズ犬のメリーは、蘭母が親戚からもらって来た子で、あちらこちらをたらいまわしにされた幸薄い子でした。
悪い事をしたので、叱ると"ごめんなさい、私を捨る?"って聞いて来ます。 "捨てへんよ" って
私たちに気を使わなくなるのに3年かかりました。
そのメリーがフィラリアにかかり、もう長くは生きられないと聞かされた翌朝、私がいつものように仕事に行こうとすると、今まで見たことが無い程の寂しそうな目で私を見ました。
行って来るねと声をかけて会社に行ったのですが、勤務先に電話がかかって来て、メリーが死んだって・・・
一日くらい、会社を休んで一緒にいて上げれば良かった・・・
あの朝のメリーの目は、今も忘れられません。
猫のコティーは、仕事を持つ私の代わりに我が家の子たちが学校から帰って来た時にお帰りなさいと言ってくれるようにと迎えた子でした。
ドアを開けると必ず、玄関のでお帰りって待っています。
自宅にいると、コティーが慌てて、玄関に走って行きます。しばらくすると誰かが帰ってくるのです。
家の4~5軒向こうまで、帰って来たら解るようです。車の音もよその車と聞き違えることはありませんでした。
そのコティーは糖尿病で私が会社から帰るとグッタリしていたので、慌てて病院につれて行ったのは火曜日の夜でした。そのまま入院となり、水曜日の夕方病院に行くと既に体温が下がり始めている、ダメかも知れないとの事。
だとすれば、このまま家につれて帰って家で最後を迎えさせてやりたいと言ったのですが、未だ望みのある内はそれは出来ないとお医者様に言われ、望みを託したのですが、その朝誰にも看取られずに行きました。
後悔と、コティーに対する申し訳なさで、今も一杯です。
もう、少し早く治療をしていれば良かったのに、糖尿病を患いながらも長生きする子はたくさんいるのに・・・
娘のレインは、パパの死を受け入れられず、食べ物が食べられなくなり、私たちはレインのケアでペットロスに成る暇も与えてくれませでした。
猫のみるくは、捨て猫でした。
子猫を2匹つれていました。 野良なんかした事が無いのでしょうね、自分は食べるものも食べず、子猫にお乳を与えていました。
子猫は、もらわれて行き、みるくは我が家の子になりました。
年齢も誕生日も解りません。我が家で13年いました。
元気が無いので、動物病院につれて行くと膀胱のガンが見つかりましたが、既に高齢で手術はできない、苦しみだけは、取って上げる処置にしましょうとお医者さんから言われました。
みるくは、自分はもう長くは無いと解っているのか、血の繋がらない娘レインを愛おしそうに見つめています。
レインの寂しそうにみるくを見つめています。
癌の宣告から半年後、ゴールデンウィークの最終日、みるくは静かに息を引き取りました。
亡くなる前日、ふと意識が戻り私を見つめて、ありがとう、さようならと言いました。
みるくの死は、私たちにもレインにも優しい死に方でした。
時々は、こうして亡くなった子たちを思い出します。
そうすると、今生きている翔、美津、レインが愛おしくなります。
いつか、この子たちともお別れの時が来ます。
私がこの子たちを見送らなければなりませんが、それがなるべく遠い未来で有ることを祈ります。
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- 2011/01/24(月) 23:41:49|
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